しんぶん赤旗日曜版の書評欄に森永玲著「『反戦主義者なる事 通告申し上げます』反軍を唱えて消えた結核医・末永敏事」が紹介されていました。
本書は、長崎新聞に2016年6月15日から10月6日にかけて連載された記事を元に書かれたものです。
長崎新聞には、大学時代の同級生が居ます。
丁度、来春のランタン祭りの際に久しぶりに会う約束をしたので、この本が目に留まり、今、読んでいます。
長崎県の島原半島の今福に生まれた末永敏事は、長崎医学専門学校を卒業し、米国に渡り、結核研究に携わります。
末永は、この領域では、世界の先端の研究を行っていました。
その後、故郷に帰って、開業し、流転し、茨城県のある病院の勤務医となります。
末永に、国家総動員法に基づく兵役に従事するよう求める勅令が届きます。
しかし、末永は、茨城県知事に、公然と反戦を唱え、兵役を拒否する次の手紙を返送しました。
「平素所信の自身の立場を明白に致すべきを感じ茲に拙者が反戦主義者なる事及び軍務を拒絶する旨通告申し上げます。」
末永は、学校を卒業して上京した直後から内村鑑三に師事していました。
内村鑑三は、1903年に、「余は日露非開戦論者である許りではない、戦争絶対的廃止論者である」「戦争の利益は其害毒を贖ふに足りない」との文章を発表しています。
今、再び戦争する国づくりが進められよとしている中で、戦前、反戦主義者を公然と名乗った末永敏事を学ぶ意義は大きいと思います。
内村鑑三についても更に学びたいと思います。
貴重な歴史を掘り起こし、長崎新聞の関係者及び作者の森永玲さんに感謝いたします。
引き続き、「反戦主義者なる事 通告申し上げます」を読んでいきたいと思います。
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