昨日、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会総会が開かれました。
総会後、呉充功監督の映画「払い下げられた朝鮮人」の上映会が行われました。
1923年9月1日関東大震災後に東京と横浜地域で朝鮮人が官憲や「自警団」によって集団虐殺され、その犠牲者は約6600人と推定されます。
その後、軍隊は朝鮮人を「保護するため」にとの名目で関東各地から千葉県の習志野収容所に集めました。
習志野収容所の朝鮮人らは、近隣の地域の自警団に『払い下げ」られ殺されました。
その時の様子を記録したある村人の日記が残っています。
「(九月)八日、又鮮人を貰ひに行く九時頃に二人貰って来る。都合五人(中略)穴を掘り座らせて首を切る事に決定。(中略)穴の中に入れて埋め仕舞ふ。皆労れたらしく皆其処此処に寝て居る。夜になると又各自場の警戒線に行く。」
虐殺された朝鮮人の遺体の内、6体は、習志野の近くの「なぎの原」と呼ばれる原っぱに埋められ卒塔婆が建てられました。
この事実を知った韓国の人々の力で、1985年、観音寺内に鐘楼が建立されました。
それら13年後の1998年なぎの原の非公開発掘により6体の遺体が発見されました。
1999年、観音寺の慰霊の鐘閣のそばに、旧高津区特別委員会、観音寺、千葉実行委員会の三者により犠牲者の追悼碑が建立、納骨されました。
この映画は、1986年に製作されたものです。
自警団で朝鮮人の虐殺に参加した方や当時の警察官、また朝鮮人の遺体を観た人などがその事実を語っています。
関東大震災が起きたのは1923年。90年以上の時がたち、当時を知る方はほとんど亡くなられたでしょうが、映画は、その事実を克明に残しています。
大震災の時に朝鮮人というだけで、6000を超える人々が殺された事実を私たちは忘れてはなりません。
ドイツのヒットラー政権がユダヤ人を大量に虐殺しましたが、その事実に匹敵する無謀さです。
呉監督は、「1923 ジェノサイド、93年間の沈黙」を製作しています。
この映画は、当時の犠牲者の遺族を韓国で探しインタビューを行ったものです。
遺族は、「罪もない人をなぜ殺したのか」と涙を流します。
よりよき未来のために、この事実を決して私たちは忘れてはなりません。
呉監督の最新作を大いに楽しみにしています。
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藤本様 活動報告に映画紹介ありがとうございます
年代に 訂正があるので 参考にして下さい
韓国文化人出版人がチャリティー基金を集めて千葉県八千代市高津区にある観音寺に慰霊の鐘と鐘閣を寄進されたのは 1985年
それから13年後の1998年 なぎの原の非公開発掘により6体の遺体が発見されました
1999年 観音寺の慰霊の鐘閣のそばに 旧高津区特別委員会、観音寺、千葉実行委員会の三者により犠牲者の追悼碑が建立、納骨されました
by 呉充功 — 2017年6月16日 21:02 PM
呉監督直々のご指摘ありがとうございしました。今後修正したいと思います。
現在製作中の作品の完成を心待ちにしております。
今後のご活躍をお祈りしております。
by webmaster — 2017年6月18日 5:45 AM