東日本大震災が発生して6年目の今日、宇部市内で、福島の子どもたちとつながる宇部の会主催で「3.11被災地に思いをよせる宇部市民の集い」が行われました。
第一部は、児童文学者の那須正幹さんが「ズッコケ三人組 震災を語る!」と題して講演されました。
3.11の日のつどいで講演する那須さん
那須さんは、1942年、広島市で生まれました。広島に原爆が投下された時、3歳2か月でした。
家は半壊しましたが、幸い軽傷ですみました。
那須さんのお父さんは、女学校の先生でした。原爆投下直後教え子を探して爆心地を駆けまわるお父さん。
「住吉の橋の下なる水澄みて底の遺体の数もわからず」という短歌をお父さんが生前遺されています。
那須さんは、被爆体験を通じて、今日の原発政策について次のように語りました。
「我が国が保有するプルトニウムは、48トンに達している。これは核兵器6000発に相当する莫大な量である。つまり日本はその気になれば、いつでも核兵器を製造できる状況にある。しかも、安倍首相以下自民党議員の多数が、核兵器は現行憲法に違反しないと堂々と発言している。」
福島原発後、那須さんは、福島県の小学校で講演しました。
ある児童から次のような感想が寄せられました。
「私たちは、30歳になるまでに死ぬと思っていましたが、先生は3歳のときいっぱい放射能を浴びたのにお元気なのを見て、すごく安心しました。」
那須さんは、この感想を聞いて、「放射能は、人体をむしばむだけでなく、心もむしばむことを知り、以来原発反対運動にも積極的にかかわるようになった。」と語りました。
6年前に地震が発生した14時46分に参加者一同で黙とうしました。
東日本大震災から6年目を迎えます。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
No comments yet.
コメント公開は承認制になっています。公開までに時間がかかることがあります。
内容によっては公開されないこともあります。
メールアドレスなどの個人情報は、お問い合せへの返信や、臨時のお知らせ・ご案内などにのみ使用いたします。また、ご意見・ご相談の内容は、HPや宣伝物において匿名でご紹介することがあります。あらかじめご了承ください。