14日からの中国旅行から先程帰ってきました。生まれて初めての海外旅行は知的刺激がいっぱいでした。
日程は、14日は旅順。15日は、大連。16日の午前は、撫順。午後は、瀋陽をそれぞれ見学しました。
今日は、旅順。明日は、大連。明後日は、撫順と瀋陽の様子を報告することにします。
14日、私たちを乗せ福岡空港を発着した中国南方航空の飛行機は、中国時間で午後2時30分に到着しました。
現地ガイドの趙さんは、満面の笑みで私たちを迎えてくれました。貸切バスに乗り込み、私たちは、一路、旅順に向かいました。
まず、訪ねたのが「旅順万忠墓記念館」です。
この墓の周りには、今も多くの遺体が眠っています
日清戦争の最中の1894年11月26日から3日間。日本軍は、旅順の人々を約2万人虐殺しまた。
遼寧政治経済学院の李乗剛教授の「万人坑を知る―日本が中国を侵略した史跡」によると、虐殺されて人々は、清の兵士が2500人、平民1万8千人だったとあります。
死体を13日間ガソリンなどで燃やしたと趙さんは説明しました。日本軍は、記念館のある白玉山の東麓に、「清の将士戦死の地」という木の碑を建てました。
これは、平民を殺した罪を隠すものでした。大虐殺が行われて100年後に、この地に、中国政府によって万忠墓が建てられました。
小林慶二著「観光コースではない『満州』」に、「『もし』、日本軍が旅順虐殺の真相を究明し、責任者を処罰していれば、『南京大虐殺』は防げたのではないか」と書かれてあります。
私も現地に立って、その想いを深めました。日本が中国へ侵略し、大虐殺を行った起点がここにあることを実感しました。
次に、伊藤博文をハルビンで暗殺した安重根が入獄していた旧旅順刑務所を見学しました。安重根の死刑が執行された部屋も見ることが出来ました。
安重根のために特別に作られた死刑執行の部屋
実は、この旧刑務所に日本人の入所が許されたのは今年の6月からだそうです。カメラの撮影も許されました。
伊藤は日本では明治維新を成功させた功労者ですが、韓国にとっては、侵略を進めた張本人です。安は、日本では、「暗殺者」ですが、韓国では「英雄」であることが分かりました。
歴史を複眼で見る重要性をここで学びました。
旅順の最後に、日露戦争の戦跡を見学しました。まず、203高地。標高203メートルあることから、203高地と呼ばれている所です。
本当の標高は、206メートルあったそうですが、砲撃により、203メートルになったそうです。
そして、東鶏冠山のロシア軍の要塞跡を見学しました。
ロシア軍は山の中腹に巨大な溝を掘りました。この施設は、転落してきた日本兵を要塞の中から狙撃するためのものです。
この要塞全体で3000人の部隊がいたといいます。
戦争とはいかに惨いものかということがよく分かりました。
東鶏冠山に残るロシア軍の要塞の内部です
旅順は、日清・日露戦争の起点になった場所でした。現地に立つと歴史の鼓動が聞こえるようでした。
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