三浦しをん著「風が強く吹いている」を読んでいます。この小説は、箱根駅伝への出場を学生たちが目指すものです。
近く映画も上映される予定で、それも楽しみです。
実は、私は、駅伝選手だったのです。陸上部には属したことがないのに駅伝には、数多く出ているのです。
まず、中学生時代。私の通う楠町立吉部中学校は、全校生徒60名程度の小規模校でした。男子は野球部と剣道部だけ。私は野球部でした。
厚狭郡では、年1回、学校対抗の駅伝大会があり、それも会場が吉部地域でした。冬になると野球部を中心に臨時の駅伝部が出来て練習に励んでいました。
当然、厚狭郡の中学校の中で、一番の小規模校だった吉部中学校が、私たちが3年生の時に、準優勝したのです。
私は、その時のことを文章にまとめてこれも郡の弁論大会で発言したこともありました。
そして、高校生時代。私は県立厚狭高校に進みました。私はサッカー部に所属していました。陸上部はあったのですが、人数が足りなくて、駅伝大会前だけ、私は臨時の陸上部員でした。
そして、県の高校駅伝大会に、出場しました。当時は、宇部市から阿知須町を折り返すコースでした。常盤公園がスタートゴールだったと思います。
3年生の時、私は、1区の次に、早い選手が集まる確か3区でした。確か宇部興産中央病院から阿知須の折り返し地点まで走りました。
走り始めてすぐに靴の紐がとけて、「止まって結ぼうか」と思いながら走っていたのを今も思い出します。
練習よりタイムは良かったのですが、二人くらいの選手に抜かれました。25チーム程度の出場があったと思いますが、確か18位ではなかったかと思います。
前にも後にも選手がいないとまさに自分との闘いです。自分の体と足が一体の時は調子がいいのですが、体は前に行こうとするのですが、足がついて来ない、足が空回りするような時もあったなあと思いだします。
また、襷を受ける前の緊張感をこの小説を読みながら思い出しました。
元駅伝選手として、わくわくしながらこの小説のページをめくっています。
10代の頃、長距離をやっていたことが今も生きているなと思いこともあります。
議員活動も議会の準備も「粘り強さ」が求められます。その時にあきらめない気持ちは、10代のころに養われたのかも知れません。
9月議会はいよいよ明日で終わりますが、12月議会までの間に、決算特別委員会の委員として発言をしなければなりません。
昨日から準備を始めましたが、特別委員会でも粘り強さを発揮して県民の願いを届けていこうと思っています。
皆さんの中に、元駅伝選手がおられたら、共感のメールをお待ちしています。
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