先日の「本願寺新報」に小池秀章龍谷大学非常勤講師の「いのちの栞」というエッセーが掲載されていました。
この中に、吉野弘さんの「祝婚歌」という詩が引用されていました。
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「祝婚歌」 吉野弘
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長続きしないことだと
気付いているほうがいい
(中略)
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
(以下略)
・・・
筆者の小池講師は、「けんかや争いが起こるのは、お互いが『自分が立派で正しく、相手が愚かで間違っている』と思っている時です。」とし、「『二人が睦まじくいるためには愚かでいるほうがいい』という言葉は、自らの愚かさに気付くことが大切だということを教えてくれます。」と書いています。
「親鸞聖人御消息」に「世の中安穏なれ 仏法ひろまれ」という言葉があります。
小池講師は、この言葉は、決して「世のなかが安穏になるよう、みんなが善人になりましょう」という意味ではないと戒め、「本当の意味での善人になれない私。煩悩だらけの愚かな人間でしかない私。けれど、そのことに気付いた時、ただの凡夫ではなくなるのです。人間だから仕方がないと開き直るのではなく、自己中心のあり方を申し訳ないこと、悲しいことだと受け止めた時、そこに、新しい世界が開けてくるのです。」と書いています。
昨日、山口県PTA連合会家庭教育委員会の研修会に参加しました。
「あなたはわが子を理解していますか」と題し、山大大学院教育研究科の松岡准教授のお話しをお聞きしました。
5歳の太郎君が、3歳になる花子が乗っている「ブランコ」つかんで「俺に貸せ」と無理やり乗ってしまった時、親はどんな声かけをするかなどの事例が出され、わが子をイメージして考えました。
他者理解は当然ですが、自己理解を深める人格を形成することの大切さを離され、そのためには、子どもに対して肯定的理解をしていくことの大切さが話されました。
その中で、高畠さんという元プロ野球選手の言葉が紹介されました。
「大きな耳 小さな口 優しい目」
心に残る言葉でした。
親鸞の「世の中安穏なれ」に通じる言葉だと感じました。
自己理解を深める中でこそ、他者理解が深まるのかも知れません。
そんなことを考えながら、まずは家族に接したいと思いました。
松岡先生、貴重な話をありがとうございました。
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