昨日、第三回「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の定期総会が行われ、私は、昨年に続いて、運営委員に選ばれました。
長生炭鉱の水非常を後世に伝えるために、引き続き、力を尽くしていきたと思います。
定期総会の後に、1983年に作成された呉充功(オ チュンゴン)監督の映画「隠された爪跡」の上映会が行われました。
映画会は、50名を超える参加者で盛況でした。
1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震が、関東地方におそいました。
関東大震災直後に政府は戒厳令を布告しました。戒厳令と同時に、「不逞朝鮮人暴動」の流言飛語が流布され、この時、6500名以上の朝鮮人が、軍隊、警察、そして日本の民衆の手によって殺されました。
1923年の大虐殺の時にかろうじて生き残った在日朝鮮人の曺仁承(チョ インスン)さんの証言を軸に、直接目撃した20人余の証言を集めた作品です。
映画の主人公であるチョさんは、大震災の前年の22才の時、「日本に行けば白い飯が食える」からと慶尚南道居昌(コチャン)から日本に渡って来た後、あちこちを転々として建設現場で日雇い労働者として働きました。地震が起きた日、現在の東京押上付近の工事現場にいたチョさん一行は、避難して四つ木橋付近で消防団に捕らえられました。チョさんは、自警団、警察などによる朝鮮人虐殺に巻き込まれ、兄を殺され、自らも傷害を受けます。
チョさんは事件後、大井町のホルモン焼き店を営みますが、夜うなされたり暴れたりすることがあると妻が語ります。
朝鮮人の遺体を集めて焼いたり埋めたりした荒川ベリで事件の60年後に遺骨の発掘を行いますが、発見することは出来ませんでした。
主人公のチョさんは、1984年に亡くなっておられます。朝鮮人虐殺の事実を遺した映像としては、現在とても貴重な作品と言えます。
熊本県で4月14日に地震が発生しました。地震発生から数分後に「熊本の朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだぞ」などの差別的な投稿がツイッターに登場しました。
関東大震災の朝鮮人虐殺を思わせる流言飛語が、今日でも発生している事実を私たちは忘れてはなりません。
「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」が多くの方々の協力を得て、犠牲者183人の名を刻んで建立した追悼碑は、「私たちは、このような悲劇を生んだ日本の歴史を反省し、再び他の民族を踏みつけにするような暴虐な権力の出現を許さないために、力の限り尽くすことを誓い、ここに犠牲者の名を刻みます。」との文章で締めくくられています。
「このような悲劇」には、長生炭鉱水非常とともに、関東大震災の朝鮮人虐殺があったことをこの映画を観て痛感しました。
この程発生した熊本地震の際に、朝鮮民族の方々を差別する流言飛語が出されている事実を受け、改めて「再び他の民族を踏みつけにするような暴虐な権力の出現を許さないために、力の限り尽くすことを誓う」決意が、この映画を観て湧き上がってきました。
私の生き方を励まし、決意を新たにしてくれる映画でした。
呉監督、素晴らしく、貴重な映画をありがとうございました。
この作品の視聴を希望される方は、自主上映会を開催することも出来ますので私に申し出ていただければと思います。
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