住野よるさんの「君の膵臓を食べたい」を読み終わりました。
この本を読んでいると小学校5年生の娘が、「父さん読み終わったら貸して」と言いました。
これから娘がこの本を読むことになります。一緒に感想を出し合いたいと思います。
この作品は、住野さんのデビュー作ではありますが、2016年本屋大賞候補作です。
これまで本屋大賞候補作には大いに励まされてきた私ですが、この作品からも多くの事を学ぶことが出来ました。
この作品の中で、一番考えさせられたのは、主人公の「僕」が「選択」に気づく場面です。
「彼女と出会ったあの日、僕の人間性も日常も死生観も変えられることになっていた。ああそうか、彼女に言わせれば、僕は今までの選択の中で、自分から変わることを選んだのだろう。」
「違う選択もできたはずなのに、僕は紛れもない僕自身の意思で選び、ここにいるんだ。以前とは違う僕として、ここにいる。」
この本を読んでおられない方にこの部分だけ引用しても意味が伝わりにくいかも知れません。
説明をするとネタバレになりますので、詳しく書くこともできません。
「僕」は、彼女に出会い変わった自分に気づきます。
彼女から与えられたものと思っていたが、選択してきた自分だと気づくシーンが引用した部分です。
親鸞聖人に和讃に「五濁悪世の友情の選択本願信ずれば不可称不可説不可思議の功徳は行者の身みてり」とあります。
五木寛之の親鸞に「選択」とは「みずからが選びとったということだけではなく、むこうから選びとられた、という事実も大切なのではないか。」と書かれています。
親鸞が言う「選択(せんちゃく)」には、自らが選び取ったという意味と、向こうから選ばれたという二つの意味があるようです。
その意味において、この本の僕が彼女に会って様々な選択をして成長したことには、自分が選んだという意味と、彼女から選ばれて様々な経験をした側面があるような気がします。
人間は生まれた時から選択の連続なのかも知れません。
親と子の関係もそうでしょう。
子にとって親は選べないというますが、親子である以上、選び、選ばれた関係なのかも知れません。
私がいままで歩んだ51年の人生も、選び、選ばれた選択の連続だったなあと振り返ることが出来ました。
「君の膵臓を食べたい」は青春小説の金字塔となる名作だと思います。
多くの方に読んでいただきたいですし、本屋大賞の受賞も願っています。
今日から、住野よるさんの最新作「同じ夢を見ていた」を読んでいます。
住野よるさんのファンの皆さん、感想をお聞かせ下さい。
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